資料室 神秘体験の不思議

神秘体験の不思議

The Mystery of the Mystical Experience

ジェフリー・グリメット F. R. C.
by Geoffrey Grimmett F. R. C.

 神秘体験は、スピリチュアルな点で非常に重要な体験であり、一般的な知的解釈の範囲を超越しているということができます。神秘体験とは、日常的な意識や知覚が拡張したときに得られる体験です。あるときには、象徴的な意味に満ちた体験であり、別の時には謎めいた体験であることもありますし、体験した人にとって宗教的に重要な意味を持つこともあります。神秘体験を、神や普遍的精神、宇宙意識との統合であると述べる人もいれば、通常の理解をはるかに超えた真理が送り届けられる体験であるという人もいます。神秘体験をしたことのある人が、その体験について語る場合、その人の得た思考について実情に通じているのは、その人自身だけです。この意味において、神秘体験には秘儀的な、言い換えれば個人的な性質があります。

 神秘的な状態は、知識や洞察を得たという感覚へと導いてくれます。つまり、論理的な推測を超えるような極めて深い真実に関して、その本質を理解したことが実感されます。そのようにして伝えられた知識や洞察には、それまでに得たすべての知識よりも優れたものであるという確信が伴います。神秘体験とは、神秘体験について知っているということではなくて、実際に体験することです。

 神秘的な状態、すなわち神秘体験は、通常、極めて短い時間だけ続きます。この状態を長い間持続することは不可能です。非常に一時的なものであり、たいていの場合、平常の状態に素早く戻ります。この状態を引き延ばしたいと願う想いは、通常報いられることはありません。神秘的な状態が起きる機会は極めて稀ですが、スピリチュアル、またはサイキックなトレーニングによって、このような出来事が起こる可能性を増やすことはできるようです。しかしながら、神秘体験という出来事は、通常は全く予期しないときに、いつでも起こり得ます。

 神秘的な状態には、受動的な状態で受け取っている感じが常に伴います。つまり、まるで自分自身の自由意思や思考が休止していて、意識はあるけれども活動していないかのような、何かを与えられているような感覚が伴います。

 しかし、多くの人にとって、神秘的な状態の最大の特徴と言えるのは、すべてのものが繋がっているという感覚です。つまり、すべての生き物とひとつになっていて、さらにおそらく、外見上意識がないものまでもがひとつであるという感覚です。全ての植物、昆虫、動物、鳥、全人類のすべての民族が、同一の意識を分かち合っており、同じ普遍的精神のあらゆる部分であるという感覚です。宇宙の一部分であるという認識と、それを単に観察しているという意識が伴います。また、普遍的精神や宇宙意識、あるいは〈創造主/神〉と一体になったという感覚が起こります。神秘的な状態を経験している人にとって、宇宙意識、もしくは〈創造主/神〉は、すべてのものの中にあり、あらゆる所に存在しています。このことはとてもすばらしい感覚ですが、残念なことにこの状態はすぐに終わり、正常の状態へ戻ってしまいます。

 日本の禅の修行者は、この体験のことを、悟りの瞬間、「目覚め」の瞬間、あるいは啓発であると述べることでしょう。神秘体験はおそらく、全ての宗教が機能し続けるためのかなめとなっています。あらゆる主要な宗教、キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、儒教、ヒンドゥー教、スーフィーの神秘思想や他の様々な宗教には、神秘体験を得たと主張する達人が、必ず存在するからです。しかしながらこの体験は、宗教に関わる男女に限られたものではありません。多くの詩人や作家、そして政治家(ウィンストン・チャーチルが体験している)でさえ、神秘体験を経験しています。

 神秘的な状態のもうひとつの特徴は、体験が持続している間に感じられる、時間を超越しているという強烈な感覚です。アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein, 1879 - 1955)は、時間とは「はかなさという永続する錯覚」であると述べています。神秘的な状態にあるときには、しばしば、この錯覚がなくなり、はかなさが喪失したように感じます。この時、過去と現在と未来がひとつになります。作家ジョン・バカン(John Buchan, 1875 - 1940)は、神秘体験のことを「永遠の平安を垣間見ること」であると述べています。

 神秘的な状態の間は、通常認識している個性やエゴが、現実には存在しないことを強く感じると述べる人もいます。

 神秘的な状態はいつでも起こり得ます。歩いていても、車を運転していても、家の中にいても、外にいても関係なく起こります。通常、全く予期しないものです。精神が活動的なときは通常は起きませんが、ぼんやりと物思いにふけっているときや、心が気ままに回り続けているときによく起こります。「悟りは不意に起こるものであり、瞬間的な体験である。したがって、不意に起こったのではなく、瞬間的でもないとすれば、それは悟りではない。」(鈴木大拙)

 神秘的な体験が持続する時間は、非常に短いことがあります。私自身の体験はせいぜい1、2分程度のものでしたが、それよりも長い時間に感じました。しかしながら、時間が、自身にとっては引き延ばされたように感じたと述べる人もいます。その間に、作曲をしたり、別の人生を経験した例さえあります。これらの体験の頻度はさまざまです。一度神秘体験をしてから、数週間、数ヵ月後に体験することもあれば、数年の後に次の体験をすることもあります。個々の人が経験する目覚めや悟りの強さにも、さまざまな程度があることを心に留めておくべきでしょう。

 これまでの説明では、体験そのものの性質のために、言葉にすることが不可能である事柄を、言葉で説明しようとしてきました。しかし、実は、神秘体験の一番重要な特徴は、言葉にできないこと、つまり、素晴らし過ぎるために、あるいは、言葉の持つ力を超えたものであるために、適切な説明をすることができないということです。

 神秘的な状態を経験する人のすべてが、これまで述べたような特徴のすべてを備えた体験をするわけではないでしょう。しかし、最高の経験をすることは確かです。そして、実際に神秘的な体験をした人は、その体験が神秘的なものであることに疑問を抱く余地はありません。神秘体験の不思議さは、意識そのものの不思議さよりも、はるかにミステリアスなものです。

※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラ十字」(No.128)の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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