投稿日: 2021/12/10
最終更新日: 2023/02/15

バラ十字会の見解では、宇宙はバランスが達成され調和に満ちた状態にある。

それを神秘家は「宇宙秩序」もしくは単に「宇宙」と呼ぶ。

 エジプト文明は、3千年を超える歴史の中で、様変わりした面も多々ありますが、基本となる考え方は、終始一貫していました。そのひとつが「マアト」(Maat)です。バラ十字会員の方々はすでによくご存じの言葉だと思いますが、マアトは、大まかに言えば、真実、調和、宇宙秩序という意味です

一方で、インド・イラン語派に属する言葉を話す人々は、「アシャ」(Asha)と呼ばれる同様の観念を持っていました。彼らは南方を制圧しながらイランとインドへ進出し、古代ペルシャ(現在のイラン)のゾロアスター教に、このアシャという観念が影響を与えました。エジプト文明とインド・イラン文明との間には、知られている限りにおいては、ずっと後の時代になるまで接触はありません。この2つの文明が、どのような経緯で同じ観念を持つに至ったのかという謎に思いを馳せることには、人の心をとらえて放さない魅力があります。

宇宙秩序の根本原理としてのマアト

Maat as a Principle of Cosmic Order

羽を持つマアトは調和を象徴する。ペルシャのアフラ・マズダも羽を持つ姿で描かれている。

マアトは確かに「真実」を意味していますが、これはエジプトで用いられていた本来の意味をあまりに単純化した訳語です。エジプト人にとってマアトとは、「宇宙秩序の根本原理」であり、同時に「永遠の再生」でした。マアトは、自然界や社会に存在する正しい秩序であり、天地創造によって確立された秩序です。このことから、使われる場面に応じて、「正しきもの」、「誤りのないこと」という意味が派生しました。すなわち、法、秩序、正義、真実です。このような正しい状態が、重大な事柄にも些細な事柄にも、いつも保たれて、確かにされていなければならないと考えられていたのでした。

元来マアトには、それほど込み入った意味はなく、「まっすぐ」とか「平ら」といった、形や感触についての具体的な言葉であったようです。マアトを示す最も古い象形文字は、おそらくファラオの玉座の台座を表していたのですが、それが転じて、天地創造によって姿を現した最初の土地である、原初の丘が図案化されたものと見なされるようになったのだと思われます。その後に「まっすぐである」ことが、倫理的に「正しいこと」、「誤りがないこと」を意味するようになりました。このように意味が変化したことで、“マアト”という観念は大切なものになり、エジプト人の考え方や行動の規範となったのでした。

マアトは天地創造とともに誕生したとされています。最初の神によって作られ、その後は、代々のファラオによって再生と復活を繰り返すとされていました。このことは次の2つの文書から明らかです。
天空は安堵し、大地は歓喜する。ファラオ(Neferkare)が、イスフェト(Isafet:無秩序)の代わりにマアト(正義)を据えると聞いたからである。

そして、
ツタンカーメン(Tutankhamun)は、2つの国より無秩序を追放した。そして、その地にマアトが確かにあるようにした。すなわち彼は、虚言をもっとも忌むべきものとしたのだ。これにより、その地は開闢の時のようであった」(※脚注1)

ここで見逃してならないのは次の点です。すなわち、マアトが、天地が創造された「開闢の時」と同一視されているという点です。無秩序を排斥するファラオは、ヘリオポリスで信仰されていた原初の創造神「アトゥム」(Atum)の生まれ変わりであり、無秩序の終焉はマアトの確立と表裏一体なのでした。
「マアトは偉大にして、その威力は永遠に廃れることなし。オシリスの時より損なわれたためしなし。」(※脚注2)

ここで強調されている点は、オシリス神話の時代以降、マアトは侵されることなく遵守され続けてきて、さらに未来永劫にわたって続くということです。マアトは人類が滅びたとしても、その後も続くのです。このことから、マアトは法則、もしくは法(おきて)であると解釈され、その法を犯す者への処罰という意味に変わっていきます。

人間の裁きにおけるマアト

Maat in the Judgement of Humans

 マアトには、人を裁く上での基準としての一面もありました。マアトは、宗教や倫理上の事柄だけでなく、実生活における正しさ(justice:正義)の判断基準としても用いられる極めて重要な観念でした。正義としてのマアトは、エジプトの法体系の土台となっていました。「ヴェズィール」(visier)は当時の司法長官に当たる役職ですが、第5王朝以降は「マアトの司祭」と呼ばれていました。さらに後の時代には、裁判官が用いる首飾りにマアトの図柄があしらわれるようになります。マアトは、擬人化されて人の姿に描かれることもあり、その場合は、ダチョウの大きな羽が一枚付けられた髪飾りを身につけています

古代エジプト人たちの考えによると、その昔「黄金時代」があり、そのころの人々の暮らしは、あらゆる意味で調和に満ちていました。その当時の法は、人間の行動のありとあらゆる側面を考慮に入れて直観によって作られていたため、正義と倫理は一体のものであり、あらゆるところに社会正義が行き渡っていました。その一例として、原初の神々の時代について、古代エジプト人は次のように書いています。
マアトは天より来て、地上で生きる人々に加わった。」(※脚注3)

また、黄金時代には、不正もなければ苦痛や空腹もなく、ひとことで言えば、日々の暮らしには一切の問題がなかったと考えられていました。

マアト(Maat or Ma’at)は一枚のダチョウの羽を挿しており、この羽は真実と高潔さを象徴している。矢印の部分は、象形文字で記されたマアトという名前。

死者の裁きは、いわゆる『死者の書』と呼ばれる文書群に、とても詳しく描かれています。フネフェル(Hunefer)のパピルスやアニ(Ani)のパピルスなどの『死者の書』の挿絵には、死者の心臓が描かれています。心臓は、肉体に命を与える場所であるだけでなく、知性と意志の宿る場所であると考えられていたのです。そこで、死者の心臓を天秤にかけてその重さを量ることで判決を下しました。天秤のもう一方にはマアトの象徴が載せられます。それは通常一枚の羽として描かれ、倫理的な善悪の基準の役割を果たします

冥界(黄泉の国)の支配者オシリスの従者となった、ジャッカルの頭を持つアヌビス神が天秤を操作し、その針を読む役目を果たしていました。また、神々の書記官であったトート神は、判決結果を記録し、それを告げる役割を担っていました。判決が好ましくないものであった場合、判決を下された人物は、傍らで腹を空かせて餌を待っている、いくつかの動物が複合した姿の怪物「アメミット」(ammit)の餌食となってしまいます。反対に、良い判決が下った場合には、死者にはマアトの象徴が授与され、「正しく語る者」(maat kheru)と見なされて、玉座に座っているオシリスに謁見できるのでした。

死者の心臓がいよいよ天秤に載せられようとする直前に、死者は、数多くの罪のいずれも犯していないことを一つひとつ申告します。この申告はしばしば、「否定告白」または「マアトへの告白」と呼ばれています。それらは、誰もがあこがれる理想的な人生の歩み方にあたるものであったため、エジプトの歴史において数千年の間、社会全体に行き渡る道徳体系となっていました。人々は誰もが、マアトに沿って話し行動することを、理想として求められていました。死者が罪を犯していないことを証言する様々な文章が、古代の葬儀に使われた品々に記されているのを見ることができます。こうした倫理的規範は、人間の営みとして考え得るあらゆる範囲を網羅していて、そこには、隣人への接し方から神々への接し方、また、社会的行動の取り方までが含まれていました。このようにして、マアトは人々に倫理精神を吹き込んでいたのです。

アシャ

Asha

 ゾロアスター教は、古代ペルシャに由来する宗教であり、今日でも盛んな宗教のひとつです。この宗教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に影響を与え、新プラトン主義とイスラム神秘主義思想の中にも、その影響を見ることができます。ユーラシアに広がる大草原の壮大さに触発されて、インド=イラン語派に属する人々は、自分たちの神々が、一地域に限定された神々ではなく、全宇宙の神であると考えていました。また、アヴェスタ語という、ゾロアスター教の教典に用いられている言語で「アシャ」(Asha)として知られている普遍的な原理を理解していました。アシャは、自然界の営みから、人間界のおきてや人間の行動にいたるまでの一切を支配する原理です。

古代にはアシャ・ワヒシュタ(Asha Vahishta)とも呼ばれていたアシャは、後世のササン朝(西暦224~637年)においてはアルドワヒシュト(Ardvahisht)の名で知られた、ゾロアスター教の7体の神のひとつです。ゾロアスター教には、「知恵ある支配者」である「アフラ・マズダ」(Ahura Mazda)と、「アムシャ・スプンタ」(Amesha Spenta)という6体の神がいます。アムシャ・スプンタは、「恵み深い神々」、もしくは「聖なる神々」(大天使)とも呼ばれ、〈創造主/神〉自体が持つ6つの性質であり、すべての人はこれらの性質を通して神を知るのでした。これら7体の神々が、時の始めに「流出」(emanation)したことを通して、〈創造主/神〉の意志が達成され、またこの流出を通して、人間は〈創造主/神〉と接触することができます。こうした教義は、現実世界を解釈するための、古代人の神秘学的な方法であり、この独特の7体の神は、ゾロアスター教の神話や儀式の中で、欠かすことのできない中心的役割を果たします。それぞれのアムシャ・スプンタは、7種類の被造物(創造されたもの)のひとつを守護し、自らが護っている被造物の姿で表されることがあります。そして、この7種の被造物(訳者注:天、水、大地、植物、動物、人間、火)によって、創造された世界が構成されているとゾロアスター教では考えられています。神話では、この「聖なる神々」は、それぞれが受け持つ被造物の世話と守護をし、儀式では、それぞれの被造物のしるしとなるものが捧げられて、非物質的世界にこの「聖なる神々」が存在することが表現されます。

アシャは、「聖なる神々」の中でも最も美しい神と考えられており、偽りの正反対のことを象徴するだけでなく、聖なる法則や地上の道徳的秩序も象徴しています。地上の秩序を保つと同時に、アシャは、病気や死、悪魔や妖術師など、邪悪な存在のすべてを打ち倒します。アシャは、真理であり宇宙の秩序であると同時に、「聖なる神々」の中で〈創造主/神〉に最も近いとされています。

アシャには、宇宙を支配している永遠不変の法則という意味が含まれ、この法則が非物質的世界と物質世界の両方を統制しているとされます。ゾロアスター教では、自然の法則と神の法則は同一なのです。アシャは、善と悪を明確にする判断基準を定めます。そしてアシャは、基準となる倫理体系を作り、すべての人間がいかなる時にも従うべきである、様々な規範を作り出すとされます。アシャは絶対的な価値観を表わします。その価値観の前提になっているのは、善行は、それを行なった人だけでなく、広くは、社会にも利益をもたらすということです。善を行う者に、もたらされる利益は自然と増えていきます。カルマの法則と同様にアシャの法則でも、善い行いから、幸福という結果が生じることが保証されています。自身で蒔いた種と同じ種を、人は刈り取ることになるのです。

アシャとは真理である

Asha is Truth

 アシャには、他にも付随する意味が多くあり、とても一語で置き換えられるものではありません。この語を訳そうとするならば、正しさ、法、宇宙秩序、真実、正義など、互いに関連し合う一群の単語が必要になります。しかし、何よりもまず「真実」がアシャの最も重要な意味です。それは、「偽り」(druj:ドゥルジ)の対極としての「真実」です。

この意味での真実という観念には、明晰で客観的な物の見方のすべて、誠実で雲に覆われていない(明朗な)考えと言葉と行いのすべてが含まれます。ですからアシャとは、善なる行動をなそうとする深い思いを含む「正しさ」です。そして、この正しさは社会の基礎になり、また、健康や心の平安や善意を磁石のように引きつけます。こうした行動のあり方は、ユダヤ教やイスラム教の聖なるおきてとは異なり、あらかじめ命じられているものではなく、歴史や社会の状況に応じて変化します。しかし、その背景にあるのは、正しい行動を求めるということであり、このことは、何ら変わることはありません。

アシャはまた、「法」でもあります。法と言っても、あらかじめ定められている一連の戒律といったものではなく、私たちの人生や、私たちを取り囲んでいる宇宙を支配している様々な法則を表したものです。アシャは、個人的な条件とは無関係に、あらゆる人に同じように働きます。ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダは、目的を達するため、あるいは特定の人間を救うために、現実の法則を翻したりするような神ではありません。開祖であるザラスシュトラ(Zoroaster)の説く神の支配には、不動の恒星は存在せず、奇跡の治癒もなく、超自然的な力による災禍も救済も、死者のよみがえりもありません。ゾロアスター教の聖歌の一つである『ガーサー』には、奇跡も、超自然的な出来事も一切出てきません。こうした偉大な作品が遅くとも3千5百年前に作られていたという事実は驚嘆に値します。アフラ・マズダは、自然界と社会の両面にわたる現実世界を支配する法則を、アシャとして設定しました。アフラ・マズダが、この法則を破棄することはありません。

アシャという法は、実際に起こる事柄を述べているのであり、起こるべきである事柄について述べているのではありません。アシャには、重力の法則や、科学によって発見することができる他の物理法則も含まれます。同様に、私たちの普段の行動を左右している因果法則も含まれ、それらの法則は、時として辛い経験を通して知ることができます。空中に石を放り上げれば、落下が妨げられなければ、地面に落ちます。これがアシャです。ある夜に深酒をしてしまうと、翌朝は、不快な二日酔いとともに目覚めることになりますが、これもやはりアシャという因果法則です。悪事をはたらけば、ほとんどの場合は、世間から制裁を受けます。それは、その社会自体の慣習によってなされるか、あるいは、法律を執行する人の手によってなされます。しかし、露見することなく悪事を行ない、社会的に成功し、悪人として生きた後に幸せに生涯を閉じる人については、どうなのでしょうか。この場合は、アシャの法則のもとにある来世について考察しなければなりません。このことについて、ザラスシュトラはこう述べています。この世で善を選んだ人たちには、「最良の生活」(天国)が待っており、悪事をはたらいた者たちには、「最悪の生活」(地獄)が用意されている。この”地獄”での暮らしは永遠に続くものではありません。時の終わりには一切が浄められるからです。しかし、悪事を働いた人を浄めるために十分な期間、この最悪の生活は続きます。

アフラ・マズダが創造したのは、アシャによって示される真実と秩序であり、混沌、すなわちドゥルジによって示される偽りと無秩序に対立する。その結果生じたこの二者の戦いは、人間を含む全宇宙を戦場とする。

アシャを「最善」(アヴェスタ語で”vahishta”)であると讃えることは、自身を宇宙秩序に調和させ、日々の暮らしで、精神、道徳、職業の各方面において、「真実」の探求に携わることを意味します。アシャは他の人にも、あなたの中にも宿っています。そして、それこそが心の中の〈創造主/神〉なのです。どんなにささいな善行であっても、それを積み重ねるたびに、あなたはアシャを通じて、自らを〈創造主/神〉に近づけているのです。

宇宙秩序

Cosmic Order

 古代エジプト人たちは、宇宙秩序を、若い美麗な女性の姿で表わしました。それがマアトです。一方、古代ペルシャ人にとって、アシャは若き美男子でした。どちらの土地においても、宇宙秩序に「美」という性質が内在していることは、言うまでもない当然のことと考えられていました。この2つの観念は、地球の異なる場所で独自に生じたものです。アフリカとヨーロッパの草原地帯にはとても多くの共通点がありました。たとえば、宇宙には秩序が本来備わっていると考えていたことや、現在は「カルマ」と呼ばれている、人間の振る舞いの正しいあり方が存在するのを承知していたことです。
我に英気と力のあるかぎり、我は真理を求める。真理よ、我は、あなたを目にする定めにあるのか。善き思考と神への道を、我が修め続けるときに。」(脚注4)

脚注

 ジークフリート・モレンツ著『エジプトの宗教』(1992年 メシュエン刊 )英語翻訳版144ページから抜粋
同書 115ページ
同書 114ページ
『ヤスナ』第28章4-5節(訳者注:ヤスナは『アヴェスタ』中、祭儀または礼拝用の頌歌。全72章のうち17章はザラスシュトラ自身の作とされ、本文中の『ガーサー』はこれに当たる。第28章も『ガーサー』の一部である。)

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