資料室 人生の理想

人生の理想

人生の理想

Life's Ideal

レイナー・ミレン

by Raynor Millen

 世界は日に日に複雑さを増しています。まるで、大陸ほどの大きさがある頭脳のようであり、それは、成長に成長を重ね、その思考もますます精緻になり、高度化しているかのようです。過去の時代に私たちの祖先は、ただ生き延びるためだけに苦闘してきました。戦争や報復や政情の変化という混乱の中を、ひたすらに生きなければならなかったというのがその理由ですが、不幸なことに、この状況は、世界の幾つかの地域では今も続いています。しかし、そのような紛争地域よりも平和で洗練された地域では、宇宙の深い神秘について熟考する時間があります。そのため、そのような地域で強く差し迫った要求となっているのは、現在に至るまで明らかにされてこなかった、自身の内部にある自己の本当の性質を発見することです。自身の内側の、もう一人の自己だけから、私たちは次のことを学ぶことができます。すなわち、人生を導く光を見つける方法と、その光から指示を受け取る方法と、甚だしい物質尊重の傾向をものともせずに、人生の真の目的を理解し受け入れる方法です。

 そのようにして、人生の最も重要な目的を知ることができれば、それは、計り知れないほど価値のある知識となります。真の自己が、ちらりとでも見られるとしたら、大金を支払っても良いという人は、かなりの数に上るのではないでしょうか! あまりにも多くの人が、人生とは不幸な偶然であり、出会うはずではなかった道端の停留所のようなものであると考えています。しかしそれは、かつて人生の師であった完璧な存在が、すでに自身の内部にいて、ただ解放されるのを待っているということに、彼らがまだ気づいていないためです。しばしば〈内なる師〉(Master Within)と呼ばれる内的な自己には、たいていの場合、外的な自己の望みとは異なる要求があります。そしてその要求は、私たちの内面の進歩にとって、まさしく必要なことです。

甚だしい物質尊重の傾向をものともせずに、人生の真の目的を理解し受け入れることは容易ではない

 多くの人は、休むことなく行き当たりばったりに、さまざまな方向を同時に探しています。あれやこれやのことを試し、最新の流行をしばらく追っては、何らかの理由でそれを止めます。そしていつでも、現代の混乱の餌食になってしまっています。このような人からは、自分のしっぽを無益に追い回している犬のことが思い起こされないでしょうか。そのような人は、絶えず外面的で表面的なことばかりに気を取られて、決して落ち着くことも、心の静けさに至ることもできません。すべての人のための師が、心の中に存在しているということに、たとえ可能性だけであっても気づくためには、心の静けさが必要とされます。彼らは、お金をもうけるかもしれませんし、フェイスブックで多くのファンを引きつけ、自分がすべての人に愛されていると考えるかもしれません。しかし本当は、真に価値のあることをほとんどなし遂げておらず、ついには、深く苦しく心をさいなむような虚しさを通してそのことに気がつき、その思いは、年を経るごとにますます抑えるのが難しくなります。

 人生のほとんどの歳月を、富と社会的地位の追求に費やしてきた人々は、物質的な目標であると自分が考えていたものの頂点に、到達することも多いのですが、一度も予期していなかった新しい試練に向き合わねばならないことをただ見いだすこともあります。そしてその試練は、ほとんどの場合、解決するのがとても困難なことです。例を挙げるならば、不実な配偶者、ドラッグや盗みに走る甘やかされた子供、親しい"友人"たちの嘘や偽り、そして些細だけれどもさらに不快な、解決することが難しい、社会的な地位や富ではどうすることもできない、細々とした危機の数々といったことです。そのような人たちの生活は、今挙げたような"ものごと"や人々で溢れています。しかし彼らは、心に食い込むような虚しさが常にひどくなっているように感じ、真の幸せを手にしていないことは確かです。

 その内なる虚しさを和らげるために、この人たちは、誰の方を向けば良いのでしょうか。もしくは、何に、どこに、注意を向ければ良いのでしょうか。不幸なことに、所有欲を通じて身につけた態度のために、これらの人たちはしばしば、生活において、素早く手軽な(そして愚かな)解決法を求める傾向があります。しかし、彼らのうち誰一人として、実際には、解決することに成功していません。もしこの人たちが、この生活は、内的な達成のための探求において、まさに自分が踏み出そうとしている最初の一歩にすぎないと理解しさえすれば、落ち着きが取り戻され、自身の未来、自身の人生の主な目的を、以前よりも静かな心境で受け入れることでしょう。自分の未来に素晴らしい展望が広がっていることを心の中で理解し、自分がとても長い旅路のほんの始まりに立っているのだと理解することでしょう。その時からは、お手軽に得られる報酬などというものはなくなり、厳しい仕事と、自力で勝ち得た成果だけが存在するのです。

 自身の前にある思いがけない落とし穴に気づいたり、内的な計画に従ったりするために役立つ、計り知れないほど貴重なガイドが、私たち自身の心の内部にはすでにいます。しかしもちろん、ガイドがいてもいなくても、人生において要求されることや挑戦すべきことから完全に免れることはできません。努力しても完全に失敗することが何回もあるでしょう。ですから、失敗に対処する方法を学び、灰の中からなおも立ち上がり、そうする必要が生じたときには、人生を再建する方法を学ぶ必要があります。人生の舞台は物質的な世界であるため、私たちが直面する試練の多くには物質的な解決法が必要となります。私たちがいかに高尚な解決策を考えたとしても、それだけでは足りないということが起こります。しかし、生きていく上で指針とすべき基準を、常に増やし続け、それに自身を合わせることを、自分が吸収できる以上に急速に行うならば、まだ対処する準備ができていない困難や試練に直面してしまうことになるでしょう。赤ん坊は、這うことができるようになる前に、走れるようにはならないのです。しかし、自身の進歩のための責任を意図的に引き受けなかった他の人たちとは異なり、神秘家や、真に気高い生き方を偽りなく求めている人たちは、自身の道徳的、精神的な能力を超えるようにして積極的に先へ進むべき時と、加速するのではなくて適切な速さで走るために、人生のアクセルペダルからしばらくの間、足を離すべき時を知っています。そのような減速によって、残りの人生に時間的な余裕と空間的な余裕を与え、知恵と能力を体験から補うことができます。

 内的な目覚めが発達していくと、人生で周囲に現れる無数に多くのできごとに対する深い感受性が、必ずもたらされます。以前は決して気付かなかった多くの単純なできごとが、急に自身の心のレーダーにとらえられるようになり、人生の舞台の中央に近づいてきます。しかし、そのような感受性を得るためには、たとえば瞑想などの、宇宙精神と内的に同調する技法を十分に練習する必要があります。そしてもちろん、しっかりと集中して将来の計画を立てることに時間を費やすという、実際的な取り組みも必要とされます。私たちは心の中には、ほとんど無限とも言える強さの蓄えと、理想と実践とのバランスを取る能力があります。そして、自身の人生の方向を変えようとしているときに、荒れ狂う大海原の"流れに立ち向かうこと"から生じる、激しすぎる浮き沈みを避けるために、心の強さとバランスを頼ることができます。そしてもちろん、方向を変えることは、時としてどうしても必要になります。

 この世界のストレスと要求に対処するために、私たちは強くなければなりません。しかし「強さ」とは、神秘学的な意味では、攻撃性を意味してはいません。自分より穏やかな性格をした他の人に厳しい言葉をぶつけて、見せかけの優越を装うような攻撃性を意味してはいないのです。自身の内的な確信と、〈無限なるもの〉との同調に基づいた強さは、受動的な種類の強さです。それはあからさまなものではなく、他の人は簡単には気づきません。というのも、この強さは、日常的な争いよりも高いレベルにしか表れないからです。不幸なことに、心の強さのことを、攻撃性や人に何かを強制するような態度の一種だと考える人は、しばしば強さのことを、弱さと間違ってしまいます。しかし、心の穏やかさは弱さではなく、深い思索に携わることも弱さではなく、また、思いやりや寛容を示すことや、片方の頬を打つ人にもう一方の頬を差し出すことは、弱さではないことに注意しなければなりません。全く反対に、これらのことが意味するのは強さなのです。熟練した神秘家がなし遂げているような、物質的な自己と心の深奥の自己とのバランスを達成している人々の人生では、あえて強さを示す必要が起こることは、ほとんどありません。このような人たちの強さは、力強く流れている深い静かな川のようであり、最も必要とされるときにだけ用いられるように準備がされているのです。

人生の模範

A Pattern in Life

 模範とすべき人生の姿が明らかになってくると、自身が設定した人生の目標と、その目標の達成に影響を与える要素を、私たちは、より良く理解するようになります。現在の自身の姿と、達成しようとしている自己表現との間の隔たりを見積り、そして、まだどれほど遠くにまで歩いて行かなければならないのかをはっきりと自覚すると、絶望感に圧倒されてしまうかもしれません。しかし、歩まなければならない長い道のりが前にあるのを知ることそのものから生じる謙遜は、それだけでも、かなり大きな達成にあたります。知ることは真の力であり、真の力からは、奪われることのない成果が生じます。

 自身の過ちに素早く気づき、直ちに行動を改めることを通して、その過ちを償おうとすることは、常に最良の行いです。私たちが求めているのが、精神的な生き方であろうと、物質的な生き方であろうと、この規則に例外はありません。しかし、償うことに、もし今回失敗したとしても、深く悩みすぎる必要はありません。すべてが失われたのではありません。別な機会があるからです。おそらく、とても多くの機会があるわけではありませんが、少なくとも何回かの機会があり、私たちは、もう一度試みることができます。〈宇宙〉の教育システムは、決して生徒を見捨てません。〈宇宙〉は、別な機会に、別の方法で、他の人たちが関与する別の場所で、同じ課題を与えます。そして、その課題に私たちが挑戦するのを見守り、声援を送っています。

 物質が重視される風潮に由来する重圧は常に、神秘学の理想から私たちの注意をそらそうとします。時おり私たちは、自身が同時に2つの世界に住んでいると感じてしまうかもしれません。特に、物質的な富だけによって価値が判定される性急なビジネス環境で働いている場合にはそうです。また、人と人との間で交わされるやりとりが、卑しさや浅ましさを感じさせることばかりである場合もそうです。そのような状況では、つまり、自身が長い時間をかけて改良し、苦労して手に入れた貴重な神秘学的な価値観に、他の人々の共感が全く得られないように思われる状況では、そして、すべての人々の間にある魂の深い絆の価値が一切認められないような状況では、自身の〈内なる師〉が伝えてくれる心の静けさと強さを頼る必要があります。そして、自身の心の最も奥底にある避難所を訪れる必要があり、私たちが耳を傾けることをいつでも待っている、助言と励ましの言葉を受け入れることが必要となります。

 自己の高度に進歩した部分と日々同調すること、もしくは同調しようすることは、自身のバランスを保つ支えとして不可欠であり、また、正しい道から外れないようにするために不可欠です。そして、このことによって、自身を洗練するための精神探究は、揺るぎなく絶え間ない行いとなり、生きているあらゆる瞬間に十分に効果を発揮することになります。すべての思考と行動において、肯定的であり続けることを、自身の心に求めているのであれば……、自身の置かれた状況がどれほど不愉快なものであっても、その状況は、内的な開花のために自身が引き寄せた、十字で象徴される試練であるということを認めるならば……、人生で私たちの進む道が、再び暗闇に覆われることは決してありません。美しいバラの開花とソウル自体の芳しさに到達するために、私たちは痛みと苦しみという、茨の茂みの中を通り抜けていきます。

瞑想を通して〈宇宙精神〉と内的に同調する技法を練習することによって、それまでは決して気づくことのなかった、とても多くの単純なできごとが、突如として心のレーダーにとらえられるようになる。

 現在進んでいる道において案内が得られるということは、極めて有益なことです。心の深い部分にかかわる教訓という実際的な道案内を受けると、生きている間ずっと続く私たちの旅は、少しだけ容易なものになり、その旅でたどる道筋にある峠や谷は、それほど険しいものではなくなります。あなたがもし望むのであれば、他の人からアドバイスを受けるようにしてみてください。しかしそのときには、自身の目を良く見開いて、理性的であり疑問を抱き知識を求めるというあなた自身の能力を決して手放さないでください。そして、あなたが受け取ったアドバイスがどのようなものであっても、それを絶対的真実として受け入れる前に、必ず良く吟味してください。最も偉大な道案内人は、すでにあなたの内部にいます。あなたに必要なことは、その〈内なる師〉と意図的に十分に交流するための方法なのです。

 ※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラ十字」(No.132)の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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