資料室

〈光〉が神秘学で意味すること

Let there be Light

ウィリアム・ハンド

by William Hand

 「〈光〉あれ!」(Let there be Light!) みなさんもこの言葉を聞いたことがあるかもしれません。神秘学や精神の崇高さに関連する分野では、この括弧に囲まれた〈光〉(大文字で始まる英単語のLight)という語は、もちろん物理的な光(light)を意味しているのではありません。

 では、神秘家がたびたび口にするこの〈光〉とは何を指しているのでしょうか。

 この記事では、神秘家は〈光〉という言葉で何を意味しているのかということについて、バラ十字会に伝わる伝承と知識を活用して、説明を試みたいと思います。また、「私たちはなぜここにいるのか?」あるいは「人生の目的は何か?」といった、〈光〉に関係している問いについても取り上げます。それは、とても難しい問いではありますが、一度〈光〉の性質を掘り下げて考えるならば、解き明かす糸口を見つけることができるでしょう。では、私たちの旅を始めましょう。

 バラ十字会の下部組織であるロッジやチャプターの集会では、〈存在〉(Being)についての説明がされます。〈存在〉とは、時間を超えて永遠に、あり続けている状態のことです。〈存在〉についての考え方の一つは、〈存在〉とは普遍的な意識である、つまり宇宙意識であると考えることです。〈存在〉が放出するエネルギーは〈光〉と呼ばれています。そして、このエネルギーが時間と空間という範囲の外にあることは間違いありません。このエネルギーすなわち〈光〉が、時間と空間を超越しているならば、私たちが通常理解しているのと同じように、この〈光〉が振動することはありえません。私たちが通常理解している波動では、一秒あたりにどれだけ動くかということで振動が計測されます。ですから、このような波動は時間と空間の範囲内にあります。したがって、〈存在〉と存在が放射する〈光〉は、単に〈ある〉のです。この概念は重要です。もし〈存在〉が時間と空間を超越しているならば、私たち人間は、〈光〉として放射されている〈存在〉の全体像も真の性質も、決して知ることはできません。私たちは、3次元の空間と時間の中に存在する、人間としての肉体を持つ姿で生きているからです。しかし、瞑想と内観を通して得られる、見通しの良い視点から眺めるならば、少なくとも私たちは、その真の姿に近づくことはできます。

 〈存在〉すなわち〈あるということ〉(ISness)は、意識を持つ無限の知性であり、無限の可能性を持つ〈光〉として放射されていると言うことができます。言い換えれば〈存在〉とは、顕在化された〈創造主/神〉です。それは、潜在的な〈創造主/神〉、つまり顕在化していない〈創造主/神〉と対比することができます。中国の思想では、前者が〈陽〉、後者が〈陰〉と呼ばれています。中国の思想では、〈陰〉と〈陽〉が、万物に働く主な2つの力であるとされます。この2つの力は同時に生じ、互いに補い合いながら機能しています。また、2つの力のバランスは絶え間なく変化しており、相互に依存する関係にあります。太陽が動いていくにしたがって、丘の上に降り注ぐ光の様子が変化していくように、陰と陽は入れ替わっていきます。つまり、〈陽〉は顕在化した〈光〉であるのに対し、〈陰〉は潜在的な〈光〉であり、〈陽〉を補完します。つまり、〈陰〉はまだ顕在化していない光であると言うこともできます。

 さて、このような理解のもとに、〈光〉として放射されている〈存在〉そのものの性質は次のことであると、バラ十字会の文書には記されています。「知覚することができず、反映されず、ゆえに形を持たない」。しかし、意識を持つ無限の知性が、形を持たないとしたら、どのようにして自体を現実化することができるのでしょうか。また、何にも反映されないとしたら、どのようにして自体についての印象を得ることができるのでしょうか。ええ、これは難しい問いです。〈存在〉は、その永遠に続く活動を拡大し、複雑さを増し続ける進化を通して、〈生命〉や、時間や空間や寸法、そして振動を創造することによって、自体を現実化し、自体についての印象を得ているのではないでしょうか。拡大するということは、空間と寸法が存在することを意味しています。また、〈生命〉は知覚すること、つまり意識の中に外界の反映を保持することができます。そして、〈生命〉と外界を成り立たせているのは、どちらも〈光〉というエネルギーなので、〈光〉が自体についての印象を得ることができるようにしていると言うことができます。つまり、〈創造主/神〉の意識の顕在化した部分である〈光〉が自体を経験するためには、〈生命〉が必要なのです。以前に書いた記事で私は、量子力学の事実を言い換えた次の言葉を用いました。「〈光〉のない〈生命〉には目的を達する能力がない。しかし、〈生命〉を伴わない〈光〉には、目的そのものがない。」というものです。つまり、〈光〉と〈生命〉は、ある目的のために一体となって機能しています。

 物理学には、〈光〉の性質を実証することができる素晴らしい実験があります。純粋な白い光をプリズムに通すと、何が起きるでしょうか。もちろん、プリズムの内部で光は屈折し、虹のようないくつもの色が出てきます。赤、オレンジ、黄色、グリーン、ブルー、藍色、紫です。みなさんも学校で見たことがあることでしょう。さて、もし〈存在〉の性質を白い光にたとえるとすれば、異なる振動数を持つ、多数の振動を生み出す白い光をフィルターに通すことが、創造のためには必要であるということが分かります。ここでプリズムは、さまざまなフィルターのたとえになっています。

 ひとつのたとえではありますが、プリズムから出てくる赤い光が動物界を表しており、青い光は人間界を表し、その他の色もそれぞれの世界を象徴していると考えることができます。このような創造のことを「減算フィルター処理」(subtraction)と呼ぶことができます。このことが、理解の鍵です。どのようにして万物や宇宙が「無」から生じることができたのか、また、宇宙に始まりはあるのかを理解しようとすると、私たちは混乱し、迷宮に入り込んでしまうものです。しかし、もし別の観点から考えてみたらどうでしょうか。つまり始まりというものはなかったのであり、〈存在〉(Being)つまり〈あるということ〉(ISness)だけがあったのであり、宇宙の創造のことを、あるフィルター処理だと考えます。創造とは、無から何かを作り出すことではありません。まったくその逆であり、創造とは、「すべてを含むもの」から何かを創るために行なうフィルター処理です。創造とは、聡明かつ意図的に減算フィルター処理を行なうことなのです。

 私たち人間の脳は、基本的には、エネルギーを特定の方法で解読する装置です。私たち人間の意識は、フィルターを通過した〈創造主/神〉の意識の一部であると言うことができます。そして、転化すなわち肉体の死の後には、人間の意識がエネルギーを解読する方法は、生まれる前と同じように、生きている時とは再び異なるものになります。つまり、内省や熟考に似た、ある方法になるのです。無限の〈愛〉こそが唯一の〈真実〉です。他のものはすべて幻影にすぎないと言ってもいいでしょう。では、なぜ私たちはここにいるのでしょうか。〈生命〉の目的とは何なのでしょうか。

 答えを探すために、〈光〉として放射されている、意識を持つ無限の知性、つまり無限の可能性を持つ〈存在〉に戻ることにしましょう。〈存在〉が目指していることは何なのでしょうか。確実に、そして論理的にも言えることは、存在が目指しているのは、無限にある潜在的な可能性を、少なくとも、実際の経験へと変えることです。すでに見てきたように、物事を経験し理解するためには、何かを何かに反映することが必要であり、そして生物がこの反映を提供します。そして、このことこそが、宇宙の偉大な〈光〉の一部として、私たちが出現した理由です。

 私たちが人生で経験することは、突き詰めれば、創造主の経験の一部であり、このことこそが私たちがここにいる理由です。つまり、無限にある潜在的な可能性が〈現実〉となり、経験を通して成長することに寄与するために私たちは存在しています。私たちの使命は、何と素晴らしいことでしょう。

 ※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」(No.141)の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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