資料室

シャルトルのノートルダム大聖堂

Notre Dame de Chartres

ベティー・メイン

by Betty Main

 シャルトルは、パリの南西100キロメートルほどのところに位置する都市で、ウール=エ=ロワール県の県庁所在地です。古くから司教座(訳注)があっただけでなく、豊かな農業地域であるボース地方の中心地です。パリのモンパルナス駅を出発し、列車でわずか1時間ほどですが、その車窓からは、手入れの行き届いた畑、典型的な田舎の家屋、羊や放牧牛の小さな群れなどの風景が次々と変わっていくのが見られます。

訳注:司教座:キリスト教の司教区の中心になる大聖堂(cathedral:カセドラル)に設けられている司教(bishop)の座る椅子(cathedra)。

 シャルトルの町に近づくと、ヨーロッパでも最大級の大聖堂の偉容が目に飛び込んできます。それはまるで、町の上空に浮いているかのように感じられることでしょう。大聖堂の建造は1020年に始まり、ロマネスクス様式で建てられましたが、1194年の大火で破壊され、当時の建築は南の尖塔、西側のファサード(建物の正面部分)、クリプト(地下の礼拝堂)だけに残っています。大聖堂に陳列されていた聖遺物である「聖母のヴェール」(Veil of the Virgin)が奇跡的に大火を逃れたことが主な要因となり、1195年から1220年の間に、この大聖堂はゴシック様式で再建されました。1250年以降、建物には変更がほとんど加えられていません。度重なる宗教戦争とフランス革命のときに、この建物の破壊が企てられたこともありましたが、実行されることはなく、現在まで存続しています。2回の世界大戦の間、大聖堂の窓のステンドグラスは、慎重に取り外されて地下室で保管されました。そして2回の空襲さえも耐え抜いたのです。

 何世紀もの間ずっと、シャルトルのノートルダム大聖堂は、文化的にも芸術的にも、また歴史的にも記念碑的な建物であっただけでなく、巡礼の旅の重要な中心地でもありました。1140年から1160年にゴシック様式で建造された西側にあるファサードには、2基の大きな尖塔が備わっています。古い尖塔として知られている正面から見て右手にある南塔は、1170年に完成しました。そして、新しい尖塔として知られている左手の北塔は、1507年から1513年にかけて、ジュアン・テキシエにより建設されました。ゴシック・フランボワイヤン様式の北塔は、古い尖塔の荘厳な様式とは対照的です。

 ゴシック様式のこの大聖堂は、13世紀の栄華の象徴です。ゴシック建築様式の主な特徴は、高さを追求していることです。対照的にロマネスク様式では、内装と外観の両方に、水平方向に伸びる直線が多く見られます。独立した尖塔、矢のような形をした屋根、屋根に設けられた尖塔があることが、ゴシック様式の建築の外観の特徴になっています。天に向いているこれらの要素からは、優美さの感覚が伝わってきます。ゴシック建築のもうひとつの重要な特徴は、町の人たちが建設に参加したことです。そのため、最も高く最も壮大な大聖堂を建設できるのはどの町かを競い合うことが行なわれました。

 神話と伝承の研究の専門家であり、著名な教授であるジョーゼフ・キャンベルは、こう言っています。「カセドラル(大聖堂)に入ったとき、人は自身の心の奥深くにあるイメージの世界に深く入り込んでいく。カセドラルは、あなたの精神生活を育む母親の子宮である。すなわち母なる教会である。カセドラルのあらゆる部分が、崇高な精神的価値で満たされている」。あらゆる時代のあらゆる文化に、崇高な精神性(spirituality:スピリチュアリティ)についての感覚が存在していて、この感覚に促されて人は聖なる場所を作るようになりました。通過儀礼や宗教の儀式を行なったり、崇拝する神聖な原理に祈りを捧げたりすることによって、人々は聖なる場所を作り出したのです。人類が誕生したばかりのころは、洞窟の内部に聖なる場所が作られ、自然界の生き物や日常の場面を描いた絵で飾られました。これが少しずつ発展して聖なる森になり、さらには、イギリスのストーンヘンジなどのような巨石建造物や、古代エジプトの壮麗なルクソール神殿、ソロモン王の時代のエルサレム神殿などが造られました。今日でも、歴史的に名高いキリスト教の大聖堂、豪華な装飾を施されたイスラム教のモスク、幻想的な雰囲気をたたえた仏教寺院などを訪れることができます。これらの場所は、信仰する人たちの純粋な思いが表われているだけでなく、それぞれの文化が表現されている中心地にもなっています

窓のステンドグラス:魂の啓発

Windows: Illumination of the Spirit

 シャルトルのノートルダム大聖堂には、人と神との関係を表すさまざまな象徴があり、そのため、瞑想、熟考、内観に必要な条件が作り出されています。近代の教会の大部分は、劇場のような構造に建築されているため、祭壇や祭壇で行なわれる式典の全体を一般の人々が見渡すことができます。しかしゴシック様式の大聖堂には、そのような視覚的な配慮はまったくありません。会衆は立つ位置によっては、式典で行われているすべてのことを理解することができません。式典は見世物ではなく象徴的な意味が重要なのであり、式典に参列する人々はそのことを理解していました。

 中世の時代、ヨーロッパの人々の大部分は読み書きができませんでした。また、本の生産量が少なかったために、本が流通する範囲は限られていました。この2つの事情から、当時の信者が聖書を手にすることはほとんどありませんでした。このことに関係しているのですが、ゴシック様式の大聖堂には窓が設置されて、2つの役割を果たしています。第一の役割は、教会の内部に多くの光を取り入れることで、ロマネスク様式の教会が、閉ざされて薄暗いのとは対照的です。第二の役割は、その時代としては画期的な色付きガラスでできた絵や図を用いて、聖書の物語を文字を用いずに大衆に伝えるということでした。次のラスキンの言葉には、それがよく表れています。「半透明のガラスは、人の心に聖霊を印象づける最も良い方法であった」。美しく色鮮やかな聖書の場面は、窓を通して入る太陽の光に照らされて、今日にいたるまで見る者を魅了し、建築からは、崇高な精神性(spirituality:スピリチュアリティ)が伝えられています。

 この大聖堂を取り囲むように、186枚のステンドグラスの窓があり、その大部分は1210年から1240年の間にギルド(職人組合)から寄贈されたものです。ステンドグラスの題材には、宗教的なものだけではなく、13世紀の日常生活が描かれたものも含まれます。各々の窓は、複数のパネルに分割されていて、左から右、そして下から上の順に鑑賞するように作られています。数字と幾何学的な形には象徴的な意味があります。3は教会を表し、正方形と数字の4は物質の世界と四大元素を、円は永遠の生命を象徴しています。

 中世では商業活動の大部分がギルドの管理下にあり、ギルドは、商品とサービスの価格を決めていたばかりか、見習い職人の訓練も行なっていました。ギルドは町の地方政治にも多大な影響を与えていたため、大聖堂にステンドグラスを寄贈することは、一般大衆と有力な聖職者の両方にとって、広報活動の一つの方法となっていました。

 この大聖堂のファサード(建物の正面部分)にある西側のバラ窓は1215年の作で、中央にキリストを配置して最後の審判が表わされています。その周りには、一連の聖書の場面、新約聖書の寓話、この教会に祭られているさまざまな聖人と預言者が描写されています。バラ窓の下には3つの窓があり、エッサイの樹(エッサイからキリストに至る系図を表した図案)や、受難や復活などを含むキリストの生涯が表わされています。北側には、聖ニコラス、聖ヨゼフ、聖エウスタキウスなどのさまざまな聖人が描写されています。北側のバラ窓には、聖母の賛美が描写され、それをユダヤの王たちが囲んでいます。東側には、聖テオドル、聖ビンセンシオ、聖ヤコブ、アロン、エゼキエル、ダビデ、聖母子、イザヤとモーゼ、聖母の生涯、および黄道帯のステンドグラスがあります。南側のバラ窓は、黙示録の場面と玉座のキリストです。

 これらのステンドグラスは、錬金術もしくは何らかの秘密の製造方法で作られたと考えられています。ステンドグラスの色には独特の輝きがあります。その中でも、シャルトル・ブルーと呼ばれる色の成分分析は、今日でも科学的に成功していません。シャルトルのステンドグラスの中で最も有名なものは、「青い聖母」(Notre Dame de la Belle Verrière)です。そこに描かれている聖母マリアは、天の女王として描写されており、王冠を戴いて王座に着いています。幼子イエスは聖母の膝に座り、ロウソクを持った天使が二人を取り囲んでいます。このステンドグラスは1194年の火災を免れた数少ないものの一つです。このステンドグラスでは、主に2色が使用されています。王権を象徴する青色と、美徳、特に慈愛を表わしている赤色です。この種類のステンドグラスの製造技術は、12世紀に頂点に達しましたが、13世紀に入ると姿を消してしまいました。

迷宮

The Labyrinth

 中世の大聖堂では、巡礼者が使用する目的で、床に迷宮(ラビリンス:labyrinth)を描く習慣がありました。巡礼者は通常、犠牲的行為として膝で歩いて迷宮をたどりましたが、それは、キリストの受難を暗示する行いでした。シャルトルの大聖堂の迷宮は、正面玄関から数メートル入った中央の身廊(訳注)にあります。迷宮は11の同心円でできており、その中心には六枚の花弁のバラの形が描かれています。

訳注:身廊(nave):教会で祭壇の近くに位置する礼拝のための空間。

付記:2015年に米国カリフォルニア州サンノゼ市で開かれたバラ十字会AMORCの世界大会を記念して、同地にあるバラ十字公園に、シャルトルのノートルダム大聖堂の迷宮を基にしたデザインの迷宮が造られました。この迷宮の境界は現地の植物の植え込みでできています。

 シャルトルの大聖堂の迷宮の通路は262メートルあり、13世紀の巡礼者がこの通路を膝で歩くのには、およそ1時間がかかったことでしょう。心理学的に言えば迷宮は、中心へと向かう、踏みならされた道を表しています。つまり迷宮は統合、すなわち真の自己への回帰を表しています。瞑想のひとつの方法として歩くという実践は、中世ヨーロッパで伝統的に用いられていました。それは、巡礼者個人の中心と、宇宙の中心である〈創造主/神〉との合一を探究する手段でした。歩いて行う旅は、探究者が自分の直観を用いて取り組まなければならない精神探究の道のりを比喩的に表しています。目の前に障害が出現し、目標から逸脱するようにそそのかされたとしても、探究者は正しい道から外れてはならないということを表わしているのです。多くの場合、迷宮は円形をしていますが、円には真の自己という象徴的な意味があり、人間の魂のあらゆる面での完全性を表わしています。円はまた、人間と自然界の関係も表わしています。仏教の禅宗では、円は悟り、光明、仏陀(完全な悟りを得た人)を表します。

迷宮 The Labyrinth

 自己あるいはセルフ(self)という用語はユングが使用したもので、無意識を含む精神全体の核となっている部分を表すために使われます。自己はエゴ(ego:外的な自己)とは異なり、エゴは精神の別の部分です。自己は精神全体の中心であり、精神全体をコントロールしており、自己の働きによって、人格は継続的に発達し成熟していきます。この過程を完了させるためには、自分自身の内部にある自己を理解し、自身の潜在的な能力を完全に発揮するために、無意識の影響力を意図的に受け入れることが必要です。この世の人生は迷宮です。ですからその旅が安全であるようにするためには、〈創造主/神〉を信頼しなければなりませんし、純粋な心を持っていなくてはなりません。

 この大聖堂では、莫大な数の巡礼者を引き寄せるために、主として2つの工夫を凝らし、巡礼の中心地になっていました。第一の工夫は、大聖堂に高い尖塔を設けたことでした。尖塔は遠方から、特に、次々に誕生した新たな巡礼路から容易に見つけることができました。第二に、通りかかった巡礼者の注意を引くためには聖遺物が役立ちました。シャルトルの大聖堂は、聖母マリアに捧げられた大聖堂であり、西暦876年にシャルル2世によって寄贈された聖母のヴェールなど、聖母の聖遺物のいくつかを所蔵していました。聖母のヴェールは今でも、礼拝室の主祭壇の近くで見ることができます。この大聖堂で戴冠したフランス王は今までにただ一人だけです。1594年2月27日に、アンリ4世がパリに向かう途中で戴冠しています。

地下の礼拝堂

The Crypt

 シャルトルの大聖堂のクリプト(地下の礼拝堂)は、フランスで最大の地下礼拝堂であり、世界でも最大級のものです。ローマのサンピエトロ大聖堂やイギリスのカンタベリー大聖堂と比べても、わずかに小さい程度です。礼拝堂は、1020年にフュルベール司教によって建造されました。礼拝堂にはいくつかの礼拝室がありますが、中でも地下の聖母の礼拝室(Notre Dame de Sous Terre)は、とても古い時代から巡礼者が目的の場所にしていたと言われています。他の大聖堂とは異なり、シャルトルの大聖堂の中に墓はありません。そのため巡礼者は、ここが聖母の被昇天(訳注)を記念する建物であることを思い起こします。地下室の別の場所には聖クレメントの礼拝室があり、ここには12世紀の彩色画が何枚か残されています。

訳注:被昇天(Assumption):聖母マリアは、魂とともに肉体も天に上昇したという信仰伝承。

地下の礼拝堂 The Crypt

 地下の聖母の礼拝室は、最も訪れる人が多い場所であり、そこには巡礼者が何世代にもわたり祈りを捧げた像があります。フランス革命のときに、被害を免れるために、大聖堂は「理性の殿堂」と改名されましたが、聖母の礼拝室は攻撃を受けてしまいました。そして、1855年と1976年に新中世様式で修復されました。聖母マリアの木像は、革命家に焼かれてしまった像の複製です。

 大聖堂が建っている場所は、古代から崇拝されていました。レイライン(訳注)に興味を持つ人のために記すと、大聖堂に関連する力のラインはまだ知ることができます。ラインには、聖堂の内陣と身廊を横切っているものがあり、建物の屋根の突起に沿っているものもあります。これらの中でも重要なラインは、2つの聖母のステンドグラス(青と黒)の間を通り、内陣を横切っています。この大聖堂を訪れたならば、これらのライン沿いで瞑想をすると特に有益であるのを見いだされることでしょう。

訳注:レイライン(ley-lines):古代の遺跡は、直線上に並ぶように建てられていて、地磁気の方向や他のエネルギーの方向に関係するという説がある。レイラインとは、遺跡を結んで得られる直線や、そのようなエネルギーの方向を示す直線のこと。

 ※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラ十字」(No.143)の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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