資料室

心の奥に存在する崇高さ

Spirituality in Earthly Life

ハーヴェイ・スペンサー・ルイス

by H. Spencer Lewis

「絶対と合一し、一切を平等に見る人は、
自己が万物の中にあることを見いだし、
万物が自己の中にあることを見いだす。」
-バガヴァッド・ギーター

 

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 全体として見れば人類は、スピリチュアリティ、つまり心の崇高さという人生の側面を、よりいっそう意識するようになったことに疑いの余地はありません。宗教の教義に対して、現代的な立場から批判を行う人々がいるということと、教会の活動に興味を示す人が確実に減っているという状況は、私たち現代人が宗教という探究から徐々に遠ざかりつつあることを示しています。しかし、極めて明白な論点が見逃されています。それは、現代人は考え方において、真の意味で宗教的になりつつあるのであり、過去には単に信じることだけによって受け入れていた信条や教義を、そのような形では受け入れることが少なくなっただけなのだという論点です。

 私たちはほとんど興味がないことや全く興味がないことについて、議論をしたり深く考えたりすることはありません。宗教やその教えについてよほどの興味がない限り、自分の楽しみのために使えたであろう、かなりのお金や時間を費やして、この分野についての多くの本を購入して読んだりはしないことでしょう。

 文明の夜明けから人類は、目の前の地平線よりも上に顔を向け、彼方を見つめ、広大な天空の中に、ある微かなしるしを見つけようとしてきました。それは、崇拝され敬意を捧げられるべき、自分たちよりも優れた何かのしるしです。はるか上方を見つめることによって人類は、自分たちの進歩の向かう先を、偉大なる高みへと引き上げたのです。

 人の命のはかなさや、生存を妨げる生活の不安定さから、古代の思索家たちは次のように考えるようになりました。私たち人間が存在する目的には、目の前にあるさまざまな物事が示していることだけでなく、それ以上の何かがあるのではないかと。その目的の背後に何があろうと、そしてその目的に潜んでいるものが何であるとしても、それは性質として、日常のものごとよりも高貴で、日常を超越していることでなければなりませんでした。心以外に、物を超えられるものがあるでしょうか。心の崇高さ以外に、限りある命を超越できるものがあるでしょうか。頭で考えるのは難しいけれども心では理解できる、超自然的で全能などの性質を持つ存在以外に、日々の生活を規定し、導き、その苦労を埋め合わせてくれる存在がいるでしょうか。

 確かなことですが、私たちは大きな間違いを犯してしまっています。無限なるものを、それについての自身の心の中の理解にとらわれて、単なる有限な説明に限定してしまうという間違いです。しかし、日々の経験にとらわれてしまい、それほど重要ではないことがらに対する信念は弱められていますが、人間は、心の崇高さについての信念を強く保ち続けてきました。そして、人間の魂のように心の崇高さとともにある存在が、肉体に宿ることを通じて進歩してきたという信念も保ち続けてきました。

もし心に、崇高さという性質がなかったとしたら

Being Without Spirituality

 私たち人間の心の奥の崇高さは、地球上で生きるために必要不可欠な要素なのでしょうか。物質的な人生に、心の崇高さについての知識は必要なのでしょうか。このような質問に答えるのは難しいと感じられるかもしれません。心の崇高さということが抽象的であるように思え、否定的な形で答えようとしている人もいることでしょう。そこで、心の崇高さということが意味することを理解するために、しばらくの間、この質問に否定的な形で答えるとどうなるかを、じっくりと考えてみることにしましょう。

 今ここで、この宇宙を支配し、すべての生物に満ちている、いわゆる〈創造主/神〉もしくは絶対的意識というものが存在しないと確信したとしたら、その後に私たちは何を行うでしょうか。どのように考え、行動するでしょうか。もし私たちの体の中に、魂という崇高で尊い要素が宿っていないとしたら、あるいは同じことですが、何か尊いことを為そうとする行動原則が、私たち人間の性質にまったくないとしたらどうなるでしょうか。私たち人間の生命力に、限りない秩序を実現しようとする傾向がないとしたら、すなわち、私たちの体のすべての細胞に全能の意識がないとしたら、どうなるでしょうか。何と無力で希望のない見捨てられた無益な人生になってしまうことでしょう。

 そのような考え方からまず生じる結果は、愛という崇高で気高い要素が、嘆かわしいことに、感覚的な基本的欲求だと見なされてしまうということです。普遍的な愛という、世界に秩序を与えている尊い卓越した力は、私たちの意識から一掃されてしまいます。そしてその影響力のすべては、とても浅ましい、ありふれた衝動や行動原則が基礎になっているとされてしまいます。芸術や音楽、そして自然界の色彩にある美、優美さ、高尚さは、物質の組み合わせによる、単なる偶然の結果とされてしまい、計画なく、一時的にできごとの産物だとされてしまうことでしょう。向上心や進歩へのあこがれも、動物的な本能のレベルよりも高度なものであるとされることはなくなるでしょう。

心の奥にある高貴なまなざし

The Vision of Spirituality

 私たち人間の心の奥にある高貴な性質こそが、人間を卓越した高みに引き上げ、人生についての展望を与えてくれます。それはあたかも、命に満ちた美しい丘や谷を山の頂上から眺め、そして、下の平原からはまだ見えない遥か彼方の朝日を見るようなことです。私たちは、心の奥にある高貴なまなざしを通して、肉体の目では見ることのできない、過去のできごとを理解します。そして、物質的な考え方では理解することのできない夜明けの先にある、来たるべき新しい日を理解します。

 〈創造主/神〉の意識は、悲しみ、嘆き、失望しているときに、私たちを助けるために訪れます。母の慰めの囁き声のように、内なる静けさに満ちた小さな声で、気高い言葉を話し、私たちを励まし、心の平安とエネルギーに満ちた道へと私たちを導いてくれます。〈創造主/神〉の全能の英知の振動によって、すべての場所で奏でられている天球の音楽は、大海の音楽の上に私たちが漂っているかのように響き続けます。その音楽はまるで、すべての波が調和に満ちた和音であり、穏やかなすべての瞬間が、甘いメロディの主旋律であるかのようです。

文明の夜明けから人類は、目の前の地平
線よりも上に顔を向け、彼方を見つめ、
広大な天空の中に、ある微かなしるしを
見つけようとしてきた。

 壮大な建築に表されているもの、人がパレットの上で混ぜ合わせてキャンバスに塗る、色彩の乱舞に表わされているものが、私たちの人間の心の奥にある崇高でありスピリチュアリティです。絵画は、聖なる法則の振動への返答である、自然界のまばゆい美しさを写し取ったものです。私たち人間の心の奥にある崇高さは、私たち人間の心の中の〈創造主/神〉です。そしてそれなしでは、私たちには何の価値もなく、何も考えることができず、何もなし遂げることもできません。なぜなら、心の奥のこの崇高な要素がないとしたら、私たちひとりひとりは、ただの機械に過ぎなくなってしまうからです。人に命と体を与える創造的なエネルギーの魔法の呪文に、私たちが触れ、心を動かされるのも、心の奥にあるこの要素のおかげです。

 ※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラ十字」(No.143)の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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